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栽培・製造・直売店
株式会社 宮原茶園


(営業時間:8:30~17:30)




ちらん茶師伝
蒸し製玉緑茶
趣(おもむき)
2,160円
…………………
高級煎茶

大樹(だいじゅ)
1,620円
息吹(いぶき)
1,080円
…………………
煎茶

薫風(くんぷう)
864円
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くき茶と煎茶

報恩(ほうおん)
648円

お茶の発祥

紀元前2700年ごろ中国で野草とお茶の葉を食べていたといわれるのが始まりです。
漢の時代(紀元前1世紀)には、すでにお茶はよく知られ主に上流階級に嗜好品として愛飲されていたようです。


日本のお茶栽培

1191年臨済宗の開祖栄西禅師が佐賀県の東脊振村の山腹に、宋の国から持ち帰った種を播いたのが最初と考えられていましたが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強いそうです。空海や最澄も持ち帰り栽培したという記録があります。


当初は薬としての用法が主でしたが、栽培が普及すると共に嗜好品として、飲まれるようになりました。一時(貴族社会の平安時代の遊びとして)中国のように闘茶が行われることもあったが、日本茶道の祖『南浦紹明』により、中国より茶道具などど共に当時、径山寺などで盛んに行われていた茶会などの作法が伝わり、次第に場の華やかさより主人と客の精神的交流を重視した独自の茶の湯へと発展した。


当初は武士など支配階級で行われた茶の湯だが、江戸時代に入ると庶民にも広がりをみせるようになる。煎茶が広く飲まれるようになったのもこの時期である。茶の湯は明治時代に茶道と改称され、ついには女性の礼儀作法の嗜みとなるまでに一般化した。


漢字の由来

」の字は中唐(618年 - 907年)以後に成立した字で、それまでは「」(ト)で代用されていました。「荼」は草本植物を表す草冠と、「苦い」ことを意味する「余」からなり、本来は苦い味のする植物であるニガナを指す字である。原産地中国の雲南方面から四川・江南へと長江流域に茶が広まるにつれ、デャあるいはテャのような発音(反切で澄麻の切)に荼字を当てて使うようになったと推定されている。陸羽が『茶経』を著して、「荼」を1画減らして区別することが広まったと言われる。


日本語の茶の字音は呉音「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」である。「チャ」という音は院政時代の『色葉字類抄』から見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられる。また朝鮮語漢字音も「タ」と「チャ」があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いる。


煎茶(せんちゃ)

とは緑茶すなわち不発酵茶の一種であるが、蒸熱により茶葉の酵素を失活させて製造する(蒸す)という点で世界的にも珍しい茶であり、生産、消費ともほぼ日本に限られている。ただし、中国茶に近い製法をとる釜炒り茶もある。


当初の「煎茶」は文字通り「煎じる茶」の意味で、茶葉を湯で煮出すことによって成分を抽出するため今日のように急須で手軽に淹れられるものではなかった。中世以降の日本における茶の服用方法には「煎じ茶」と茶葉を臼ですりつぶした「挽茶」があり、当初は摘んだ茶葉を蒸すか湯がくかして酸化酵素の働きを止め日光と「ほいろ」により乾燥させるものだったが、近世には「揉み」の行程が入るようになっていった。現在の煎茶(それまでの煎じ茶とちがい、急須で出せる茶は「だし茶」であるともいわれる)の製法は煎茶の流行とともに普及し、現在の日本茶の主流となっている。


煎茶道(せんちゃどう)

広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。


鹿児島県の知覧でお茶が栽培された起源は、鎌倉時代です。
平家の落人が北部山間地の手蓑にて茶栽培を始めたという伝承がありこれを記念した碑が町内の手蓑峠につくられています。


知覧で本格的な茶栽培が始まったのは、明治元年です。
島津氏の傍流でこの地を治めていた佐多島津氏から払い下げられた山野を明治5年に村民が開墾したのが始まりなんです。
その後は、設立された茶業組合を中心に技術者の招聘や宇治茶の製法習得、緑茶製造所の設置が進められ、お茶栽培に適した土地柄もあって生産拡大が進みました。


大正9年からは製茶機械の据付け、摘採機の奨励、共同機械製茶所の設置などにより商品としての競争力が高められ、販売面においても長崎、福岡、朝鮮への出張や沖縄、名瀬での見本市開催などの営業努力により毎年約10万貫が出荷され、九州を中心に知覧茶の名声が広まっていった。